11/1木【疏水路をたどって小関越え!】
爽やかな秋空の下、小関越えに行ってきました!
京津線を乗り換え『三井寺駅』に降りた4年生。
明治の大事業『琵琶湖疏水』をたどる遠足の始まりです。
目指すは、向こうに見える『長等山』。
トンネル工事の難所を実感して参ります!
その前に、琵琶湖の水を取り入れる「取水口」をチェックすることに…こちらが第1取水口。
こちらが、第2取水口。
トンネル状になった取水口の反対側には…琵琶湖が広がります。
大津閘門(おおつこうもん)では、水位の調整を行う“門”をチェックし、みんなは、探検バッグの記入を始めました。
2つの取水口のことや、
大津閘門のこと、
勢いある水の流れに、思わず見入ってしまいます。
さあ、いよいよ長等山を目指します。
今歩いている下を、疏水が流れている…
上へ上へと目指します!ジャージを脱ぎたくなるほど、上ると…
第1たて坑が見えてきました。難所・長等山トンネル工事には、このたて坑が大変役に立ちました。ここから、現場に向かう方達が出入りし、仕事の効率を上げる工夫をされたと学習しました。
「思った以上に大きい!」と声が上がりました!
実際に見に来た甲斐がありました。
こうして、疎水が流れる横を、上を歩き続けました。
この辺りは、大津と山科の境。
疏水は、私たちよりぐんと下の方を流れています。
ところが、10分ほど歩くと、もう私たちのそばを流れています。
これだけ、下ってきたのだな、と実感します。
気づけば、四ノ宮まで来ていました。
こちらは『四ノ宮舟溜(ふなだまり)跡』。
疏水を使って、船便の運搬が盛んに行われていたところです。と、京都側のトンネルから…
観光船の光が見えてきました。
大きなエンジン音とともに、疏水の流れに逆らって上流・大津方面に向かっています。
水しぶきが、逆走!?を語っています。
ご覧ください!この波!
昔は、手こぎで上流を目指していました。
ロープを張り、たぐるように上がる方法も取り入れ、3時間かけての船便だったそうです。
お弁当タイムで~す!
「まだですか?」と何度尋ねられたことか…
パワー注入で、ここからは「蹴上げ」から「南禅寺・水路閣」を目指します!
疏水路をたどる…と、意気揚々でスタートしたものの…そろそろ足下がヘロヘロの様子…
それでも、歩みは続きます。
すると、行きの京津線から眺めた「京阪山科駅」が、左に見えてきました。
「四ノ宮」から「山科」、そして「日ノ岡」へと進んでいることがわかります。
第2トンネルまでやって来たところで、何やら香ばしいおせんべいのにおいが…
第2トンネルのそばの広場に、“桂の木”が見事に葉を広げていました。
香りの正体は、その落ち葉だったのです。
休憩をかねて、しばし“秋みつけ”タイムとなりました。
休憩後も、まだまだ続きます、疏水の道は…
新山科浄水場です。
大津側から観光船が戻ってきました。
観光船が過ぎたあとの波は穏やかです。
下流に向かっているので、動力なしで静かに進んでいきました。
ここは、疏水を渡る橋です。
何と『日本初の鉄筋コンクリート橋』。
橋からは、第3トンネルが見えます。
橋を下りてさらに進むと…
「御陵」の街道を横切る道に出てきました。
歩き続けるみんな。すると『蹴上げ浄水場』が見えてきました。
6月の暑い日、社会見学に出かけた見覚えのある建物です。
“「疏水ものがたり」の水”をもらったところですね。
浄水場を背に、山手に上がっていくと、“インクライン”に出会いました。
建設の関係で、どうしても段差が発生します。
その課題を解消するため、水力発電で生まれた電力を使って、線路を敷いた上に台車を走らせ、舟を水路に乗せる仕組みを思い出すことができました。
インクラインの横には、工事で亡くなった方々の慰霊碑が建っていました。
帽子を取り、同称十念を行いました。
インクラインの線路を越えると…
“若きリーダー”の姿が!「イケメンやん!」と女子の声が聞こえてくるようです。
大工事の構想から実施をリードした“リーダー・田辺朔郎”像の前で集合写真を撮りました。
疏水路の観光名所・南禅寺の「水路閣」にやって来ました。
このレンガ造りのアーチの上に水が流れています。
のぞきに入ってみたところ…
水の流れは、山側(上)からではなく、坂の下から上に向かって流れていました。
用水路として使われる歴史を持つ水路閣。
周りは、秋色が始まっていました。
アーチとアーチの間を見学した男子…「ここ住めるやん!」。えっ!?
さあ、本日のゴールが近づきました。
「疏水記念館」を背に、インクラインのスタート地点を通過しました。
疏水工事を支えた姿をイメージした、力のオブジェをバックに、学校までの道のりを歩きました。
元気をなくした明治初期の京都に、活気を取り戻そうとした人々の思いや苦労を味わうことができた、今回の遠足。
大津の皆さんの理解があって完成につなぐことができたことも、よくわかりました。