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9/17木【給食・歴史ウォーキングクラブ「頂妙寺へ」】

【給食】

◆今日の献立
・牛乳
・ごはん
・五目豆腐
・きんぴら
・かぼちゃの天ぷら

豆腐、白菜、人参、きくらげ、しいたけと具だくさんの五目豆腐は、野菜のシャキシャキした食感や、きくらげのコリコリした食感など、一度にいろいろな食感のおいしさが味わえます。かつおと昆布でとった「出汁」でしっかり煮込んだ後は、片栗粉でとろみをつけると具材に味がよく絡まります。

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【(昨日の)歴史ウォーキングクラブ】

昨日はクラブ活動でした。前回より古地図に親しむ「歴史ウォーキングクラブ」。古地図の中に広域にわたる頂妙寺を発見。先生より「このお寺の前を毎日通っているよ。」と一言。そこで今回の行き先は頂妙寺の訪問を決定です!
先生は「それにしてもどうして仁王門通りという呼び名かなぁ」と意味深なつぶやきをしました。メンバーはそれを気にしつつ、いざ、川端仁王門に近い頂妙寺へ出発です。

前回、本校周辺のお寺が江戸時代末期の古地図の位置とほぼ変わっていないと知りましたが、今回、仁王門通りを西に歩きながら、並びのお寺が今も変わらないことを改めて知りました。

それにしても、たくさんのお寺が集まっています。川端通りから東大路、それに二条通から三条通りのこの区域だけで、55ものお寺があります。本当に特別な空間です。
目指す頂妙寺は、看板の左(方角は西)の広い場所にあたります。

行く途中、ある南北の道路が水路だったことも、古地図より発見しました。そうして、頂妙寺の山門に到着。

山門を通り、中へ入らせて頂きました。目の前に、とても立派な造りの二天門が見えてきました。

二天門の名の通り、この中に持国天と多聞天(毘沙門天)がいらっしゃいました。
運慶・快慶作と伝えられていると聞き、「へぇ~」「はぁ~」とうなずく6年生。
「鎌倉時代前の作品が場所を変えながら、今も大切に残っていたということかなぁ」と、いろいろと想像を巡らすメンバー達でした。

ふと、気づきました!
「二天はまさに金剛力士像のよう。金剛力士といえば仁王。二天=仁王? 二王?」
「仁王門通りの由来とは、ひょっとして?!」
「そう。仁王門通りの名前は、この二天門の像から頂いたものなんです!」
ついに、私達の学園正門前の通り「仁王門通り」の名前の由来が確認できました!

でも、驚きは、まだありました。二天門を見上げると扁額がありました。
「何か読める字がありませんか?」と先生。

「(児1)天正十二年・・・」
「(先)それは1584年だね。」
「(児2)豊...」
「(児3)太閤...」
「(児4)分かった。豊臣秀吉!」
「(児5)でも、どうして秀吉の名前があるの?」

実は、織田信長が法華宗(日蓮宗)の布教を禁じたことがありました。それを秀吉が回復の許可をしたものであることを、子ども達が知りました。子ども達の「へぇ~」「はぁ~」がまた出ました。

二天門を抜けると、たくさんのイチョウの大木が見えました。きっと秋の終わりには、素晴らしい黄葉が見られることでしょう。イチョウの根を踏まないようにして本堂前へ行き、そこでお参りをしました。

でも、これで終わりません。
実は、出発前に子ども達に確認していたことがありました。それは...
「(先生が「風神雷神図屏風の写真」を見せながら・・・)この絵を知ってる?」
「(児1)よく知っているよ。」
「(児2)授業でも出てきたよ。」

実は、頂妙寺は、その風神雷神図の絵師「俵屋宗達」とも関係があるのです。宗達のお墓と伝わる場所へ行き、静かに手を合わせました。メンバーには、絵が得意で芸術家になりたいという子がいますが、きっと思いが伝わったことでしょう。

「歴史に感動!」のクラブ活動でした。

 


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