6/28月【給食・先週の歴史ウォーキング】
【給食】
◆今日の献立
・牛乳
・千種焼
・きんぴら
・小松菜の味噌汁
千種焼です。
細かく刻んだ人参、玉ねぎやひき肉を卵に混ぜて焼き上げる料理です。
しっかり焼き目をつけて、焼くと香ばしさが出てよりおいしくなります。
きんぴらは、ごぼうやれんこんなど根菜がたっぷり入っています。
根菜は食物線が多く腸をきれいにして、体調を整えてくれる食材です。
食物繊維は、ふだんの食事から十分な量をとることが難しいので、意識して食材を取り入れることが大切です。
シャキシャキの小松菜とよく煮込んだ大根のお味噌汁です。
体を温めて適度に塩分を補給してくれます。
明日の献立は「牛肉コロッケ」です。お楽しみに!
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【先週の歴史ウォーキング クラブ】
前回より古地図に親しむ「歴史ウォーキングクラブ」です。
まずは、前回に訪れた「妙傳寺」を古地図で確認し、続いて正門前の今日の行き先、川端仁王門に近い「頂妙寺」を確認しました。
妙傳寺・満足稲荷神社をはじめ、学校周辺には多くのお寺がありますが、それは1708年に京都の「宝永の大火」と関係があります。移転せざるを得なくなったのです。今回行く頂妙寺は、その大火以前に建立されました。
いざ出発です!
メンバーは、先生の「どうして、ここは仁王門通りという呼び名だろう」と意味深なつぶやきを気にしながら、てくてく歩きました。
古地図では、本校周辺のお寺が江戸時代末期の古地図の位置とほぼ変わっていません。今回、仁王門通りを西に歩きながら、それを確認しました。
それにしても、たくさんのお寺が集まっています。川端通りから東大路、それに二条通から三条通りのこの区域だけで、55ものお寺があります。本当に特別な空間です。
目指す頂妙寺は、看板の左(方角は西)の広い場所にあたります。行く途中、ある南北の道路が水路だったことも、古地図より発見しました。
そして、頂妙寺の山門に到着。
山門を通り、中へ入らせて頂きました。目の前に、とても立派な造りの二天門が見えてきました。
二天門の名の通り、この中に持国天と多聞天(毘沙門天)がおられます。運慶・快慶作と伝えられていると聞き、「へぇ~」「はぁ~」とうなずく6年生。「鎌倉時代前の作品が場所を変えながら、今も大切に残っていたということかなぁ」と、いろいろと想像を巡らすメンバーでした。
ふと、気づきました!
「二天は、まさに金剛力士像のよう。金剛力士といえば仁王。二天=仁王? 二王?」
「仁王門通りの由来とは、ひょっとして?!」
「そう。仁王門通りの名前は、この二天門の像から頂いたものなんです!」
ついに、私達の学園正門前の通り「仁王門通り」の名前の由来が確認できました!
でも、驚きはまだありました。二天門を見上げると扁額がありました。
「何か読める字がありませんか?」と先生。
「天正十二年・・・」
「豊...」
「太閤...」
「豊臣秀吉のサインでは・・・?」
どうして秀吉の名前があるのでしょう。実は、織田信長が法華宗(日蓮宗)の布教を禁じたことがありました。それを秀吉が回復の許可をしたものであることを、子ども達が知りました。子ども達の「へぇ~」「はぁ~」がまた出ました。
二天門を抜け、本堂前へ行き、そこでお参りをしました。
まだ、これで終わりません。
実は、出発前に子ども達に確認していたことがありました。それは...
「(先生が「風神雷神図屏風の写真」を見せながら・・・)この絵を知ってる?」
「よく知っているよ。」 「授業でも出てきたよ。」
実は、頂妙寺は、その風神雷神図の絵師「俵屋宗達」とも関係があるのです。宗達のお墓と伝わる場所へ行き、静かに手を合わせました。